寺門孝之とギャルリ・ムスタシュ

1993年7月嵐の夜に、画家寺門孝之のペインテイング&デッサンだけの 初めての個展を美術画廊ギャルリ・ムスタシュにて開催しました。(ギャルリ・ ムスタシュは当時心斎橋界隈で一番ホットなエリア"鰻谷"に在りました。手前 みそですが、大阪で最も美しい画廊と評判でテレビのインタビュー番組や雑誌の撮影等にも頻繁に使用されていました。) 記念すべき第一回個展の珠玉 の作品群は、画集「かごめドリーム」の中に収め られています。前宣伝の時から様々な方々が大きな興味を示して下さりわく わく・ドキドキの初個展でございました。 風雨にもかかわらず、もう信じられ ない位沢山のお客様が初日のオープニングレセプションにお見え下さいました。 東京からも寺門先生のセツ時代の個性的な御友人達がゾクゾク出現され、老若 男女、江戸っ子、浪花っ子、バリアフリーで寺門ワールドを堪能し、感激し、 それはそれはホットでお洒落で楽しい夜でございました。(山口県からも寺門 先生が日本グラフィック大賞を受賞された時からのファンの方がお越し下さい ました。)お蔭様でその時の作品は、もう残ってはおりませんが、93年の作品は初個展 に向けた画家としての寺門先生の意気込みと、すさまじい集中力と、優しさと 光りに溢れた、素晴らしい作品ばかりでした。
’93.7.2~11 寺門孝之展

Moustche Favorites 寺門先生のデッサンのこと

鰻谷のムスタシュは、それこそ鰻の寝床のように間口が狭かった のですが、奥行きがずいぶんとありましたので、回廊のような感 じでした。両方の壁面に充分な展示をするためには、相当な数の作品が必要でした。個展の2日前、準備のインスタレーションの段階で ” 絵がまだ足らん!”ということになり、マダム・ムスタ シュが神戸・北野の寺門先生のアトリエへ走りました。寺門先生 は、個展のために日夜寝食を忘れ制作に従事していたので、のびた君状態・・・これ以上描いて下さいというのも忍びなく、マダ ム・ムスタシュがアトリエ中のスケッチブックなどを家探し?! したところ、出るわ、出るわ、宝物の様に、キラキラしたデッサ ンの数々・・・ 今や伝説となってしまった「猫のK」(部分)などのデッサンは、 この時に発見したものです。藤田嗣治を彷彿とさせるような繊細 で緻密な作品は今も忘れることができません。寺門先生のデッサンの魅力は、その緻密さと、歳の割に(失礼!) 手練れた洒落っ気を醸し出しているところのように思われます。子供の頃から、何万枚、何億枚と描きつづけ、感覚が研ぎ澄まされ、いい具合に力が抜けてきたのでしょう。世界で一番優しいデッサン と言っても過言ではないとギャルリ・ムスタシュは思っています。
              注:SOLD OUT


 

’94.10.14~31かごめドリーム出版記念展



  
’95.4.7~21 デッサン展 「その日の気持ちのプール」



  
’95.12.8~22 ブルーベルスター



  
’96.5.31~6.15 秘 密



  
’97.6.20~7.5 六月の万華鏡



  
’99.2.13~3.14 色彩カノン



  
’99.9.24~10.24 Now and Then



 

この個展のメインの作品のモデルでもある A・Tこと寺門敦子さんは、寺門先生にとってなくてはならない奥方様です。初めてお目に掛かった時、「私はタカチャンがすごい絵描きさんになるって信じています。」と、ラブラブ光線を放射線状に発しながらつぶやいた言葉は、今もマダム・ムスタシュの心に深く刻まれています。優しく美しいオーラを発する A・Tこそが、エンジェルなのでは?!寺門先生に人々をハッピーにする絵を描かせるために、地上に舞い降りてきた天使なのでは?と真剣に思いました。今や A・Tも1児の母!けれど、寺門先生は勿論のこと、A・Tの印象も人柄も、初めて逢った時のまま、明るくて、時に過激で刺激的、そして常に周囲の人々、全ての物 有機物、無機物に関わらず出し惜しみのない愛情を降り注 いでいるビュ-ティフルなレディです。

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