寺門 孝之 Takayuki Terakado

日本に「花咲か爺さん」という有名な昔話がある。
善いお爺さんと悪いお爺さんが登場する。
善いお爺さんに富をもたらす愛犬を、悪いお爺さんは残酷にも殺してしまう。
その犬の灰を善いお爺さんが撒くと、枯れ木に花が満開となる。その花は桜だろう。
我々日本人は、桜に独特の美を見、魅せられている。
枯れ木としか見えない葉の無い黒い枝に、突如として薄桃色の花々が咲き誇り、
あっという間に散ってしまう。
現世的な緑葉が現れるのはその後だ。
現世的ではない生、死。花、花吹雪。
「シンデレラ」の元となるおとぎ話「灰かぶり姫」のヒロインはいつも灰にまみれている。
それは、遠く東西をまたぎつつ、死んだ犬の灰であるかもしれない。
鳥に助けられ、死の灰の中から豆を拾い集めるヒロインは、
ガラスの靴の秘儀により、いつか王子様と結ばれるだろう。
僕の絵「夢見る力」の中で、
和服の裾から生々しい脚を突き出し、ガラスの靴に足を差し入れているヒロインは、
「シンデレラ」であり「灰かぶり姫」だ。
その頭では「花咲か爺さん」が灰を撒き、大きな桜の樹に花は今や満開だ。
姫の足元の小さな白黒模様の犬は、僕の子供時代の愛犬「サブ」だが、
「サブ」は不治の病を得、寿命を全うしないままに薬で眠らされ施設へ送られた。
なんということをしてしまったのだろう・・・。
「サブ」の灰は画面全体を灰色に覆い、灰の中から桜色のヒロインが、桜花とともに立ち現れる。
民族として持っているもの・・・、文化として摂取したもの・・・、個人的な体験・・・、
それらは織り糸となって、眠りの中では「夢」を織り上げ、
目覚めにおいては、僕の場合、「絵」が織り上げられることとなる。
僕にとって、「夢見る力」は、すなわち「絵を描く力」だ。
どちらの「力」も死んだ犬の灰から湧く力かもしれない。